なかおさかかなやまひぶん
小栗上野介忠順の胸像と埋骨の本墓 cf.東善寺HP
万延元年(1860)、小栗上野介をはじめとする遣米使節団は、米国で製鉄や金属加工技術の高さを目の当たりにし驚愕する。「日本も鉄の国をめざすべき」との考えに至った小栗は帰国後、製鉄所をつくる建議を提案。幕府の猛反対にあうが、建設地は横須賀に決定する。国内で鉄鉱石の採掘できる場所として選ばれたのが、本作品の舞台、西上州下仁田町中小坂鉄山である。国家の命運の賭かった鉄を巡り、理不尽な目に遭った人々も多数いたが、小栗や治兵衛をはじめ、伊佐治ら金穿(かなほり)たちは、自らなすべきことを明確に持ち、実現しようとしにゃむに邁進した。
その結果は?・・・明治政府は小栗の功績を封印し斬殺する。小栗が建議した横須賀製鉄所を造船所に替えてしまう。さらに「鉄は国家也」の方針で莫大な資金を投じたものの軌道に乗らない釜石製鉄所に対し優遇策を講じる。その結果、小栗建議の中小坂鉄山が歴史的に見て日本で最初の洋式高炉製鉄所であるにもかかわらず、釜石であるとの恣意的な俗説が生まれ以後も定着したのである。日本の歴史の認識を変え得るほどの現存する各種の史実をもとに、鉄に命を懸ける愚直な男たちの生き様を描いた疾風怒濤の歴史小説。
明治政府の暗部に挑み官業の謀略を暴いた歴史小説
帯文より
信念と使命を鉄山に賭けた愚直な男達の生き様を鮮烈に描く。
明治10年第1回内国勧業博覧会に出展された大火鉢と
梅沢峠で発見された「大日本中小坂」と鋳出された鉄のインゴット
「じょうしゅうかんらごうりかなくぼしょさんをもってこれをちゅうぞうす」明治十年一月
の文字が読める
同センターに鉄製の大火鉢他多数が展示がされている。→
鐡山保存会が復元の法被を着てご満悦な踏基サン!
余談です・・物書きの踏基サンはマラソンランナーでもありますヨ!
要注目! 撮影時間 11/20 9;55'55 GO:GO&GO:GO
(GLして下さい)