隠れ切支丹

「調合を究めた父子二代の物語」
江戸後期、加賀藩隠密御用の任を解かれた宮脇一之丞は、飛び地である西上州(群馬)の小藩七日市藩で薬事奉行に任じられた。公儀隠密や他藩が薬草調合の秘術を知ろうと暗躍するが・・ シーボルト事件に連座した長崎奉行所の通詞稲部市五郎が七日市藩に流刑されてくる。途中囚人奪還を策す一之丞の息子一馬と共に命を賭した父子の生涯を描く。


七日市藩の設立 元和二年(1616)初代藩主は加賀藩前田利家の五男前田利孝で 西上州甘楽郡十八ケ村賜り、僅か一万十四石で入封し、十二代二百五十三年間続いた。その存在は謎も多く、真田の沼田藩が改易となって以後は上州内では唯一の外様であるが、加賀藩の探題的な役割を果たしていたと言われる。 幻冬舎Rより10月28日に全国配本上梓


 

上州(旧沼田藩)川場村に現存するマリア観音像

西上州に現存する切支丹の墓

長崎で使用された踏み絵

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島原・天草蜂起の一揆軍は唐津から繰り出した鎮圧軍を皆殺しにした。だが十万の幕府軍が迫り、一揆軍は雲仙原城に立て篭もり寒風に十字の旗をはためかせて抵抗したが全滅した。以後隠れ切支丹は表面は仏教徒を装い聖母マリアや基督絵図に向いオラショを唱えて拝んだ。

天草・島原の乱

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衛星放送BS11 「大人なの自由時間」(7/22)でTV紹介されました。

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宮脇一之丞父子に関する年表
小説「七日市藩和蘭薬記」のカバーデザイン」-5

  なのかいちはんわらんやくき

踏基の

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執筆随想録-]T「隠れ切支丹の里」

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